『マジェスティック』
『マジェスティック』(2001年)を観る。フランク・ダラボン監督。ジム・キャリー主演。
1950年代ハリウッド。売り込み中の映画脚本家ピーターが、ふとしたことで赤狩りに巻きこまれる。女の子目当てで集会に参加しただけなのに、聴聞会に呼ばれることになるのだ。仕事は中断させられ、彼女には逃げられ、むしゃくしゃしたピーターはバーに入り、泥酔したまま車に乗る。そのまま川に落ちてしまい、気がつくと海岸に打ちあげられ、記憶喪失になっていた。その町で、ピーターは顔がよく似た「ルーク」と間違えられる。およそ10年前に戦地に発ったまま、行方不明になっていた青年である。
多数の若い戦死者を出した町にとって、ルークが帰ってくることは、みんなを力づける出来事であった。ルークの美しい彼女もまた、はじめは半信半疑ながら、彼の帰還をしだいに受けいれるようになる。あるとき、映画館の上に住むルークの父親は、映画館「マジェスティック」を再開しようとする。古びた映画館を、町ぐるみでリニューアルすること――それは、町全体が悲惨な過去を正面から引きうけ、記憶をリニューアルすることでもあった。
あたらしい映画館は繁盛し、ルークも仕事にいそしんで幸福な日々が続くかと思われた。しかしあるとき、ルークは偶然にも自分の脚本による映画を目にし、自分が脚本家であることを思い出してしまう。同時に、脚本家ピーターの行方を追った捜査の手も伸びてきていた。彼がルークではないことを知り、しかも共産党員であるという疑いをいだき、町の誰もが彼のもとから離れてゆく。
ピーターは町から出てゆくとき、彼女から一冊の本を受けとる。合衆国憲法であり、さいごにルークが彼女あてに戦地から送った手紙が挟まっていた。それはルークが、真に国を、町を、そして彼女を愛している、純真な青年であることを示すものであった。それまでは聴聞会で、形式的に自分の罪を認め、さっさと脚本家としてのキャリアに戻ろうとしていたピーターであったが、そうしたルークの真正な心情に触れ、心のなかである転換が生じていた。
聴聞会にて、ピーターは用意されていた文書を読むのを中断し、合衆国憲法を手にして演説をはじめる。憲法は個人の思想的信条の自由を認めていること、そしてまた、現在のアメリカは、多くの若者がそのために戦ったアメリカとは違っていることを、訴えたのである。当局側は怒ったが、周囲の聴衆からはおおきな拍手と喝采を浴びることになった。もはや侮辱罪で入獄せざるをえないと覚悟していたピーターだが、世論を考慮した当局は彼を放っておくこととする。
晴れて脚本家としての仕事に戻ろうとしたとき、しかし、ピーターはとつぜん会議室を飛びだす。くだらない注文がついたり、おべっかを使わねばならなかったりする映画の世界が嫌になったのである。ピーターはおそるおそる町へと向かう。もしも駅で待ってくれていなければ、それが返事だと受けとる、という電報を彼女あてにうったあとで。駅に着いたピーターがみたものは、彼を歓迎する町の人びとの群集であった。聴聞会の様子をラジオやテレビで聞いていた彼らは、町の死んでいった若者たちを代弁してくれたピーターを、町の一員として認めたのである。
この映画では、二つの世界が比べられている。ひとつはハリウッドの映画界であり、もうひとつは地方の町ローソンである。前者は、金権と策略、俗っぽさにみちた、現在の悪しきアメリカを代表しており、後者は、信念と人情、善良なるものにみちた、古きよきアメリカを表象している。
この物語は、そうした二つの世界を、ピーターが往還することで構成されている。悪しきアメリカの住人ピーターは、偶然から、英雄ルークとして善良なるアメリカに住まう。やがてピーターは悪しきアメリカのうちに、信念と純真さをたずさえて帰還してくる。けれども一度、よきものに触れたピーターは、悪しきアメリカにはいたたまれず、すぐに善良なるアメリカに戻ってゆくことになる。
二つの世界は〈現実〉と〈幻想〉とも言いかえられるだろう。金と政治がものをいうリアルな世界と、金よりも信念、政治よりも信頼が大切とされる、理想的な世界である。〈幻想〉の町ローソンは、たしかに心地よさをあたえてくれるが、他方、閉ざされた感覚をももたらす。善良ではあるけれども、変化のない、刺激のない、退屈な町でもある。
ピーターは〈現実〉と〈幻想〉とを比べて、最終的に〈幻想〉を選択し、ローソンの住人となる。〈現実〉を捨てて〈幻想〉へと入りこむこと。こうした映画の物語構成は、観客にどのような効果をもたらすだろうか。観客は〈幻想〉の住人となるピーターに幸福感をおぼえつつも、〈現実〉に引き戻されるほかはないだろう。ローソンは現実にはないのだから。それでもいいのかもしれない。ひとつには、善良なるものをきちんと認識できるし、そこに感動をおぼえることもできるというように、観客の自己の善良さの確認に役立つこととなる。もうひとつには、こうした〈幻想〉を担保としつつ、悪しき日常的な〈現実〉に向かってゆく力を与えてくれる。
しかしここには、ひとつの皮肉が用意されている。善良なる〈幻想〉の世界であるローソン、それを活気づけたシンボルが、まさしく〈幻想〉を提供する映画館「マジェスティック」にほかならず、しかもそこで観られる映画が、悪しき〈現実〉の世界ハリウッドで制作されているという皮肉である。〈現実〉を生きるには〈幻想〉が必要であるが、そうした〈幻想〉は〈現実〉に担保されている。


Comments
こうめいさん、たびたびおじゃましています。
ショーシャンクの空にの監督の作品ですよね。みたいみたいと思っていてまだ観ていなかったです。こうめいさんのレビュー読んで胸があつくなりました。絶対みます!
Posted by: ゆき | August 11, 2005 at 06:18 PM
> ゆき さん
コメントありがとうございます。
ショーシャンクのほうがデキはいいかもしれませんが、
こちらもなかなかです。
Posted by: こうめい | August 11, 2005 at 08:50 PM