『ユビサキから世界を』
『ユビサキから世界を』(2006年)を観る。行定勲監督。出演は、谷村美月、北乃きい、ほか。くだらない日常がだらだら続き、輝かしい未来像も描けないなかで、どっちでもいいから、じゃあ死のうか、というノリで、集団自殺をこころみる女子高生四人の話。
四人が抱いているのは、けっして絶望ではない。絶望というのは、希望がまずあって、それが、ある社会的な壁によって、どうしようもなく絶たれてしまうところに生じるのだが、四人の場合には、そもそも希望じたいがあらかじめ吸い取られており、したがって反抗すべき壁はない。そこに現代の独特の困難がある。
「生きがい」のない社会は、そのまま「死にがい」のない社会であって、つまりは自殺にさえロクな意味づけができない時代の、名づけえぬ閉塞感と、ぎりぎりの希望を描きだそうとしている映画だといえる。
だが、それがどうもうまく描き切れていない印象。これは、誰か特定の人物に起因するものではない閉塞感を、映画のストーリー上、誰かのせいにせざるをえない点に、ひとつの無理があるのかもしれない。嫌味な先生のせいだったり、浮気をする親のせいだったり、そういう分かりやすい描き方をした時点で、嘘がまぎれこむ気がする。
また、希望をみいだす契機にしても、おじいさんの乗った飛行機の墜落というのは、ちょっと納得がいかない。内的な煮詰まりの打開は外的な偶然によるしかない、というのは分かるが、その偶然が、どこかで内的な煮詰まりと結びついている必要があり、そのへんのつながりを、短い尺の映画のなかで描き切れていない感じがする。
たとえば、ソフィア・コッポラ監督の『ヴァージン・スーサイズ』などは、アメリカ郊外の閉塞感のなかで、自殺へと向かう少女たちの虚無的な心理を、外側=男の子視点から、あくまでも謎として描いて成功しているのだが、それを、あえて少女たちの心理の内側から描こうとしたところに、行定監督のチャレンジ精神が認められる。だけれども、監督の類い希な日常描写力をもってしても、やはりこの課題を描ききるのは難しかったように思う。


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