« February 2008 | Main | May 2008 »

March 13, 2008

『ジャージの二人』

長嶋有という人の小説『ジャージの二人』をふと本屋で手にとり、酒を飲みながら読んだ。この人は映画になった『サイドカーに犬』の原作者で、この映画を以前に観ていたことから、少し気になっていたのだ。何気ない日常の、すぐに浮かんでは消えるようなユルい屈託を、上手に嫌みなく描いている、そこそこに面白い小説。

ユルい屈託とは、たとえばこういうシーンにあらわれている。主人公の男が父親と軽井沢の別荘にいき、関係が微妙になっている奥さんと電話で話しているときに、相手から「充実してるのかあ」と聞かれて、「ちがうよ。『充実』をしてるんだよ」と、ややむきになって強調するシーン。

即自的に充実しているのではなく、対自的に充実という状態をつくりだすべく意識的に努力をしている、というわけである。いいかえれば、日々を無防備に過ごすなかで、勝手に充実した状態が自分のもとにやってきて、そうした満足の状態を自分は受動的に引き受け、ああ、充実していることだなあ、と、だらしなく感慨を漏らしている自分がいる、そうした自己のありよう、ないしは、そうした自己を誇示的に表明するような自己のありようを、相手にたいして否定しているのだ。

自分としては、そのように相手の心情を慮らずに、自分の満足状態をそれこそ満足げに披瀝するような、恥知らずの自分なのではなく、むしろ別荘での休日という状況からいくぶんシニカルな距離をとりつつ、いわば夏の休暇「ごっこ」を営み、そのなかで充実「ごっこ」をしているのだという、この屈託。

充実した状態には没頭しきれないことを自覚しつつ、ということはすなわち、目指している状態には最終的に到達しえないことを十分に自覚しつつも、あえてその振るまいのもとにみずからを置いてみる、そうした一種の実験的行為をしているのだという位置取りに示されているような屈託を、主人公は「充実をしている」という言い方の「を」という語のうちにこめているのだ。

しかし、そうした屈託を屈託として強調するその当の振るまいこそが、妻を相手に、屈託を屈託なく示そうとする当初の目的を裏切ってしまっているところに、主人公のダメさ加減が遺憾なくあらわれており、そうした地味でありつつもじわりと効いてくるダメさの描写が、この作者はとても上手だと思うのである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« February 2008 | Main | May 2008 »