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December 25, 2008

『祇園囃子』

『祇園囃子』(1953年)を観た。溝口健二監督。出演は木暮実千代、若尾文子ほか。

貧しい父親を離れて、舞妓を志望して新しく茶屋に入ってきた少女に、姉のように慕われる芸妓の女が、その若気あふれる快活さに親のような眼差しを注ぎながら、一人前になるよう茶屋の世界の手ほどきをしていた。あるとき旦那を買って出た得意客の無理な要求に、少女が(文字通り)噛みついて抵抗したことにより、女は窮地に陥ってしまうことになる。

得意客の会社専務が接待しようとする役所の男に身を任せるならば、少女のことも許そうというのだが、女は、好きでもない男にそんなことをするわけにいかない、と、なかなか首を縦に振らなかったところ、業を煮やした女将が茶屋のネットワークを利用して、女に仕事が回らないようにしてしまうのである。

我が身を振り返りつつ、少女のまっすぐな心情は守ってあげたい。だが仕事を奪われてしまっては生きてゆくこともできない。このジレンマに窮した女は、ついに役所の男のもとに出かけることになるのだが、少女は、そうして得たお金を汚いものとして女をなじる。口論のあとで、しかし二人は仲直りをし、祇園祭の忙しい茶屋周りに出かけてゆく――。

男女平等という戦後民主主義的理念をまっすぐに掲げて恐れない少女と、そうした少女には見えていない茶屋や現実世界のネットワークを知りつつも、なおそれを盾にとって少女の幼さを上から断罪することには抵抗を感じてしまう女との、たんなる保護者と被保護者との関係にはとどまらない、女同士の共犯者的な関係性がうまく描かれている。

作品のなかで、男は単純なる動物として登場する。金と権力と女性をすべてわが手にしようとする動物である。得意客の専務はいわば狸であり、役所の男は蛇である。無闇に襲いかかってくる狸や、執拗に絡みついてくる蛇を、正面から叩くのではなく、なかば受け身の状態で引き受けつつ、うまく勢いを横にそらしてかわしてゆく。

女の身体は長年のそうした訓練に鍛えられ、まるで合気道の達人のような身のこなしを会得している。少女の溌剌とした身体はといえば、まだ訓練が足らず、どうしても正面から相手を叩こうとしてしまう。だがそうした飛び跳ねがちな身体と、落ち着いた滑らかな身体とが共犯者的にチームを組むとき、無粋な動物どもには容易に組み伏せられない、力強い可能性にみちた結合体がそこに生み出されることになる。

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