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August 27, 2009

『あばよダチ公』

『あばよダチ公』(1974年)を観た。澤田幸弘監督。主演は松田優作。青春アクションもの。

ムショ帰りの主人公と、その悪友たちのあわせて四人が、ひともうけを企んでいたところ、ふとやってきた女の話をきっかけに、ダム工事で水没する家への補償金をねらう計画を立てる。主人公が、その家で立ち退き拒否をしている男の娘と偽装結婚をして、土地の権利書をうばい、仲間みんなで家に立てこもって、行政側が交渉してくるのを待とうという作戦である。

一方、行政側と警察はヤクザまがいの土建屋に、荒っぽい手を使ってでも彼らを立ち退かせるよう依頼する。土建屋は彼ら仲間の一人をおびき出し、それをエサにやってきた仲間たちをこてんぱんにしてしまう。若者四人はいったんは引き上げようとするのだが、不意に思い直し、土建屋の金を奪おうとする…。

若者ならではの行き当たりばったりな無計画さと、とにかくヤリたいという真っ直ぐな性欲が、単純明快な若者像をつくりあげてはいるのだが、青春アクションものの爽快感はあまりなく、どこかしら暗さというか、じめっとした空気がともなっているのが気にかかる。

たとえば、金がなく、仕事も面白くなく、女もいない、と互いに文句を交わしあい、ともかくみんなで酒を飲んで雑魚寝をする、狭いアパートの部屋の様子。あるいはまた、土建屋を襲おうと思い直すときに、主人公の脳裏にフラッシュバックされる、母親と姉が不機嫌そうな顔をし、姉の子供が泣きわめく貧しい実家の様子。

誰もが疲れており、貧しく、救いがない。彼らの無鉄砲な計画は、いらいらとして、淀んだ空気を吹き飛ばすための逆転の一撃として、そもそもが無鉄砲であることを目的として立てられたようでもある。

最後あたりの一連のシーン。土建屋に警官隊がやってきて、完全に包囲されてしまう。彼ら仲間はバリケードをつくって立てこもるのだが、催涙弾を投げ込まれ、絶体絶命のピンチにおちいる。逮捕されて終わりかと思いきや、結末はかなりトンデモなオチ。まずは奪った紙幣を一枚一枚、みんなで飲み込む。それから土建屋の建物を壊そうとするクレーン車の錘にみんなでしがみつき、まんまと脱出に成功するのである。

このトンデモさはご都合主義であって、馬鹿馬鹿しい、とただ笑ってもらうことを狙ってはいるのだろう。たしかにコミカルに描かれてはいる。だがしかし、やはり痛快な笑いに落とすことができず、むしろ狂気じみたいらいら感が、このオチにもついて回っている。紙幣を飲み込むシーンがいやに長いのも、こうした印象を強める。真顔で、むせそうになりながら、ひたすら紙幣を口に詰め込む四人の男。ありえない設定でありながら、笑えないリアルがそこに表現されている。

60年代の政治の季節が終わり、石油ショックを迎えたあとの日本社会の、そこはかとない暗さといらいら感を観察するには、よい材料であると思う。

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